コーチング心理学とは、科学に基づくコーチングの実践と研究の促進を目的とした心理学の応用分野です。

【コーチング】

コーチングとは、「訓練を受けた専門家(コーチ)が、クライアントの『目標達成』、『問題解決』、『スキルの向上』を目的として、主に対話により行う支援」です。

一般にカウンセリングがクライアントの弱みや問題に焦点をあてるのに対し、コーチングではクライアントの強みや問題の「解決」に焦点があてられます。メンタリングでは、メンターは自身の経験に基づいたアドバイスを行いますが、コーチングでは、コーチはアドバイスをするのではなく、クライアントの主体性を引出し、クライアントが自ら自身の望む未来像とそこに向けた道筋を明らかにできるように手助けを行います。心理療法が精神疾患等の治療を目的にするのに対し、コーチングはクライアントがより良い生き方を発見し、その方向に向けて具体的な行動を起こすことを支援します。その結果、クライアントのWell-being(満足感、健康感、幸福感)やパフォーマンスが向上します。

コーチングは一対一、もしくは複数人の面接形式で行われることもあれば、集団での研修形式で行われることもあります。面接においてコーチが用いる技法は主に「質問」、「聞き返し」、「要約」です。質問、特にクライアントの内省(考え、気分、行動の振り返り)や新しいアイデアの探究を促すようなオープン・クエスチョン(Yes/Noや特定の単語で答えられない質問)で対話をはじめ、コーチは自分の理解を確認するように聞き返していきます。それによりクライアントは自分の発言をあたかも鏡に映る姿を見るかのように客観的に眺めることができます。さらに、コーチと言う別の人間のフィルターを通すことによって、自分の発言をそれまでとは別の視点から眺めることができるようになります。コーチは適宜会話を要約します。この要約は強みに目を向けた前向きな要約であることから、クライアントは単に自分の発言を整理するだけでなく、目標達成に向けてエンパワメント(勇気づけられ、励まされること)されます。このようなやり取りを通して、クライアントは、問題についての捉え方を変化させ、望ましい未来についての明確なビジョンを描き、目標を達成する、あるいは、スキルを向上させるための具体的で実現可能な実行計画を立てることができるようになるのです。

研修形式で行われる場合においても、コーチングが効果を発揮するメカニズムは同様です。研修の参加者は各種のワーク(グループ課題)を通して、これまでの活動を振り返り、目標達成に向けて主体的に取り組んでいけるように励まされます。さらに集団でのコーチングでは、参加者同士が互いにコーチング・マインドを持って、他者を尊重し、互いに前向きな影響を与え合えるように促されます。

コーチングにはここに挙げたような3つの種類があります。①はコーチング・スーパービジョンです。プロのコーチやコーチング心理学者などのコーチングの専門家が、上司や医療従事者、教員など、コーチングを実施する立場の人に対してコーチングを教え、さらに、その方たちが部下や患者、生徒に対して行うコーチング活動を、専門家がスーパーバイザーとして励まし、サポートします。②は一般的なコーチングで、コーチングの専門家が直接、コーチングを必要としている方に対してコーチングを行います。③はピア・コーチングです。コーチングを受けたことのある方や、コーチングを必要としている方が、コーチングの専門家の支援を受けながら、お互いにコーチングを行い合います。

【コーチング心理学】

冒頭にあるように、コーチング心理学とは、コーチングの科学的な実践と研究のための学問分野としての心理学です。つまり、実践と研究という二つの方向性があります。

実践としてのコーチング心理学

ソリューション・フォーカス(解決志向コーチング)

解決志向ブリーフセラピー(SFBT)をコーチング、特に産業領域におけるコーチングに応用したものが「ソリューション・フォーカス(解決志向コーチング)」です。SFBTは効果的な心理療法に関する研究に基づいて開発された援助法で、「3つの前提」と「3つのルール」がその特徴を如実に表しています。SFBTの3つの前提とは、「変化は絶えず起きている」、「小さな変化は大きな変化を導く」、「問題と解決の間には必ずしも直線的な関係は無い」の3つです。ですから、SFBTでは、問題についての話に終始し、クライアントの気分を落ち込ませるのではなく、少しでもうまくいっている部分に目を向け、それを広げることに時間をかけます。3つのルールとは、「うまくいているなら変えるな」、「うまくいっていないなら何か違うことをしろ」、「一度でもうまくいったのならば繰り返せ」です。SFBTの面接では、まず理想的な未来像について語り合い、次に、「今できていること」に目を向けていきます。うまくいっていることは変えずに、むしろ、その部分を増やすための努力を促します。もし今やっていることがうまくいっていないのであれば、「何でもいいから」別のことをします。この小さな変化が後の大きな変化を導くのです。

研修形式で行うソリューション・フォーカスも面接におけるこれらの前提やルールに基づいています。互いを尊重して将来のビジョンを描く。今できていることや自分たちの強みに目を向ける。目標達成に向けてまず何ができるか考えて、できるだけ小さな一歩に集中する。これらを盛り込んだ様々なワークやエクササイズをグループで行っていきます。

認知・行動コーチング

認知・行動コーチングは、心理療法として行われている認知・行動療法をコーチングに応用したものです。行動療法をコーチングに応用した、行動コーチングも認知・行動コーチングに含めることがあります。

行動コーチングはパフォーマンス・マネジメントと呼ばれるマネジメント法と類似しています。行動コーチングでは、オペラント条件づけやレスポンデント条件づけなどの心理学の理論を用いて、問題行動を分析し、行動変容を起こすことを目的とします。オペラント条件づけに基づくコーチングでは、「行動の起こる前(事前)」、「行動そのもの」、「行動が起こった後(事後)」のそれぞれに着目し、望ましい行動が生じやすいようにそれらを変化させようとします。運動習慣を付けるという身近な例でいえば、運動しやすいような衣類や靴の準備や、早寝早起きを心がけること、仕事からはなるべく早く変えることなどが事前の対応に成り得ます。行動そのものについて、運動という活動自体ができないという人はあまりいないので、この場合には重要度が低いと考えられますが、暇なときにストレッチをしたり、試しに数回筋トレをしてみたり、ランニングする予定のルートを歩いてみたりして、行動(運動)そのもの練習することがこれにあたります。事後への対応としては、実際に運動を行った際に、何かいいことが起こるように調整しておくということです。例えば、予め目標を設定しておくことで、実際に運動に成功したときに達成感を味わうことができます。誰かと約束をしておいて、一定の成果があがった時にご褒美がもらえるようにしておいても良いかもしれません。細かい視点で見れば、スマホや音楽プレーヤーを用意しておくことも、運動をすればそれらを聞くことができるという点で、事後への対応になります。このような行動コーチングのアプローチを簡潔にモデル化したものが、有名なコーチングモデルであるGROWモデル(G:ゴール、R:現実、O:選択肢、W:何をするか)です。

レスポンデント条件づけを応用したコーチングはあまり一般的ではありませんが、気分や考えなどの自動的に湧いてきてしまう反応に対する行動コーチングでは、レスポンデント条件づけの考えを応用します。レスポンデント条件づけとは、梅干しを見ると唾液が出てくるように、過去の経験から、ある状況に対して特定の反応が関連づけられることを言います。これを条件づけに応用した例としては、「サザエさん症候群」への対応が考えられるかもしれません。いわゆるサザエさん症候群とは、サザエさんを見ると憂うつな気分になることで、これは、サザエさんを見るという行為と日曜の夜(仕事の始まる前夜)という憂うつな気分が関連づけれれている状態だと言えます。そこで、レスポンデント条件づけの考えに従えば、できるだけ気分の良い時、休日の最中や、平日でも何か楽しいことをしているときに録画しておいたサザエさんを見るようにすれば、日曜の夜も良い気分で過ごせると考えられます。

認知・行動コーチングの定番は、アルバート・エリスという心理学者とアーロン・ベックという精神科医が同時期に開発した「認知(考え)」に着目した認知・行動療法を応用したものです。認知に着目した認知・行動コーチングでは、まず、問題を「特定の場面」とそれに対する「反応(考え、気分、行動、身体反応)」として分析することから始まります。さらに、それらの反応が引き起こしている「悪循環」に目を向けることで、状況を冷静に、客観的に見る態度を促し、問題の解決に向けた糸口を探ります。そして、行動的技法(問題解決療法、行動実験、エクスポージャー、行動活性化)、認知的技法(認知再構成法、論駁)、イメージ技法などを用い、「変えられるところから変えていく」ことで、問題の解決を試みます。

動機づけ面接法(MI: Motivational Interviewing)

生活習慣の改善を目的としたコーチングや、コーチングにおける基本的な面接技法のトレーニングとして効果的な方法に動機づけ面接法があります。動機づけ面接法は、クライアント中心の心理療法(トーマス・ゴードン)やトランスセオリティカルモデル(プロチャスカ&ディ・クレメンテ)、人間の価値観に関する理論(ミルトン・ロケーチ)、自己認識理論(ダリル・ベム)などの影響を受けて開発された、人間の「両価性」に着目し、不満や現状を維持したい思いを受け取りつつ、変化への動機を引き出す面接技法です。それ自体がコーチングの方法として活用できるだけでなく、面接法がシステマティックに記述されており、基本的な面接技法のトレーニングとしても活用できます。

MIは「MIの原則」、「OARS」、「チェンジ・トーク」、「MIスピリット」の4つの要素で説明できる。MIの原則とは、「正したい反射に抵抗すること」、「動機を理解すること」、「話に耳を傾けること」、「エンパワーすること」です。「正したい反射」とは特に指導的な立場にある人が強く持っている、「人の間違いを反射的に指摘し、直そうとしてしまう」ことです。MIではそのような反射をぐっとこらえ、クライアントの両価性(「変わりたいけど、変わりたくないという思い」)を理解し、変わりたいという思いと、その方向に向けた自己効力感にしっかりと耳を傾けることで、クライアントをエンパワメントするのがMIの原則です。OARSとはMIのベースとなる技術をさし、それぞれ「開かれた質問(Open-ended questions)」、「是認(Affirmations)」、「聞き返し(Reflective listening)」、「要約(Summarise)」を意味しています。MIの目的はクライアントのチェンジ・トーク、つまり変化に向けた発話を促すことにあります。「なぜ変わる必要があり、どうすれば変われるのか」をクライアント自ら語ることは、後の行動変容引き起こす大きな要因となります。最後に、MIのスピリットは3つの構成要素からなっています。まず、「協働作業的であること」です。MIでは、専門家はクライアントが自分自身のことに関する専門家であることを尊重し、協力関係を築く必要があります。逆にクライアントと議論してしまうことは、MI的ではありません。次に、「喚起的であること」です。MIの専門家は、クライアントの変わりたい理由や、その為に活用できるリソースについての発言に対し、積極的に耳を傾けます。最後に、「自律性を尊重すること」です。MIにおいて、どこへ向かうのか、何をするのかに関する意思決定は、クライアントに任されています。

動機づけ面接法については、無料のものから有料のものまで、有用なツールがそろっています。

研究としてのコーチング心理学

このグラフからわかるように、コーチングに関する研究は1930年代より始まり、1980年代から増加し、2000年以降急激に発展しています。

 

1996年には、アメリカ心理学会のコンサルティング心理学に関する学術雑誌において、エクゼクティブ(経営者)・コーチングについての特集号が組まれました。その後オーストラリアにおいてコーチングについての学術的な議論が盛んに行われるようになり、2000年には世界で初めてコーチング心理学の学位を与える大学院のコースがオーストラリアのシドニー大学に設立されました。

 

2002年にはオーストラリア心理学会にコーチング心理学に関する利益団体が発足し、2004年にはイギリス心理学会において同様にコーチング心理学に関する特別グループが発足しました。その後、スイスやデンマークなど他のヨーロッパ諸国でもコーチング心理学に関する学術団体が設立されました。イギリス心理学会のコーチング心理学に関する特別グループとオーストラリア心理学会は共同で、学術雑誌 "the Coaching psychologist" を2005年に発刊し、翌2006年に "the International Coaching Psychology Reviw" 発刊しました。また、2006年にはイギリスのシティ・ユニバーシティー・ロンドンにもコーチング心理学のコースが設立されました。この年にイギリスのコーチング心理学特別グループでは第一回目の学術集会が開かれ、後の2011年に国際会議へと拡張されました。

 

出典:Coaching Psychology: How did we get there and where and where are we going? (by Dr Anthony Grant)野田幸平先生(ココロラボ)「2013年国際コーチング心理学会参加報告」

 

 

 

 

 

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